孤独感の理由。集団が苦手だった理由。僕の場合。

こんにちはー
パン長です。

義父は車椅子なんですが普通のラーメン屋さんに行く事すら大変です。
車椅子OKのお店ってそう多くないんですよね。
昨日はおいしい播州ラーメンのお店に義父といっしょに行けてよかったです♪
ほんでメチャクチャおいしかったしね!

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孤独感の理由とそこからの脱出

こないだ思いついたことをフェイスブックに書こうと思ったんですが
なんか長文になったのでブログにかく事にします♪
まぁ、自分自身の備忘録として後から読みたくなったときも探しやすいですし。
単なる僕の過去の話と気づきを書いてるだけなんで
興味ない方はスルーしてくださいね♪

「土に根をおろし 風とともに生きよう

種とともに冬をこえ

鳥とともに春を歌おう

どんなに恐ろしい武器を持っても

沢山のかわいそうなロボットを操っても

土から離れては生きられないのよ!」

raputa
天空の城ラピュタからシータの台詞です。

「土から離れては生きられないのよ!」

言い換えると人は大地に縛られる生き物、とも言えると思うんです。
この場合の大地と言うのは村、集落、土地などの意味も含んでいいと思います。

土地に根差した生活と言うものは
無意識にその人のアイデンティティーに関係するような気がします。
「どこそこ村のだれそれ」という無条件の安心感っていうか
自分の生い立ちや身分、立ち位置というものが最初から設定されている世界。
人口の大半が農民だった時代はそれはそれでよかった。

ところが国家が大きくなって、町や市場ができ、
生産者から消費者へとシフトしていく人達が増えます。
また国仕えの人達も増えます。

そうすると
土地から離れた無縁の集団がいろんなところで出来ます。
そういった場合には、
人はアイデンティティーを土地ではなく
自分の所属する集団へ求める事になるでしょう。

それはそれで全然悪いことではなくて
むしろそれが自然でしょう。

土地と言う、集団と言う、圧倒的な支配力と安心感。
どちらも目に見えないものですが
自分自身の存在というところに大きく関ってくる要素だと思います。

ここで問題なのは、
集団に属することが苦手な人も沢山いるって事なんです。

土地にも集団にも繋がりを持てないので自分のルーツ感が薄まります。

「自分は存在していても良いんだ」
「私はここに居ても良いんだ」

と言う気持ち、感覚が持てないんです。
土地にも集団にも属していない場合は「ラベリングしてもらえていない状態」ですから
行き場がありません。

生まれてからずっと同じ土地で生きてきたって言うのは、
それだけで自分に流れる縦の連続線に繋がれます。
存在に自信が持てると言ってもいいかもしれません。

集団に属すると
そのことで横の連帯感が得られます。
護られている安心感と充実感が持てるかもしれません。

僕は生まれてから小学校高学年まで、各地を転々と引っ越して来ました。
どの土地にも愛着が有るとも言えますが、
どこにも属していないとも言えます。

宙ぶらりんの足場がない感覚。
土地から離れた無縁の感覚です。
ルーツにも存在にも自信がありませんでした。
僕の場合は集団に属する事が苦手(群れが苦手)だったので
アウトサイダー的な者同士で仲良くなることの方が多かった気がします。
(物心つく前は覚えてないんでわからんですけど)

大人になって、人並みに生活していく中でなんとなく生きてきました。
その時はわかりませんでしたが、今思えば僕の過去の行動は
理由のわからない孤独感が意識下にあったんだなあと思います。

その後は
シータヒーリングやいろんなセッションのなかで気づいたことがあったり
潜在意識も書き換えたりすることでやっと、
今のような状態になれたなぁと。
ここまで来たんだななぁと思います。
まだまだブロックは残ってるかもしれませんが。

でも、まあ、考えてみたら
人生なんて所詮は借り物みたいなもので、
誰でも必ず死にます。
明日かもしれないし30年後かもしれない。
いつ死んでもおかしくありません。
人間ははじめから独りだし、
死ぬときだって誰かを連れていくことは出来ません。
形あるものは必ず消滅します。

形にこだわりすぎると執着が生まれます。
執着は欲望を生み、苦しみを生みます。
痛みを生み、悲しみを生みます。
怒りを生み、悩みを生みます。

でも、生きたい。
どんな命も「生きていたい」と願うものかもしれません。
だから、人は生きている間は
常に考えて悩んで怒って泣いて、そして笑うのでしょう。

僕は友達が沢山いるとか、顔が広いとか
そう言うの「くそ食らえ」って思ってつっぱってた時がだいぶありました。
でも、今は
囚われやこだわりがクリアされたので
やっとハッキリとこう言うことが出来ます。

「僕は笑ったり泣いたりして生きていたいし、そして、
その回りには大切な人や仲間がいてほしい。」

こんな風に言うことがはずかしかったり、そう思う自分を許せなかったりしました。
でも、素直にこういう気持ちを口に出してみたら凄く楽なんです。

悩んでもいいし、苦しくてもいい。
欲望を許してもいいし、悲しみに震えてもいい。
僕は生きていたい。
欲望や苦しみを否定するのではなく
悩んでくるしむ人間としていきていたい。
野生と本能がたぎる動物として
ありのままの自然で生きていたい。

…と、まあ、こんな事を最近考えていたのですが
なんでこんな辛気くさい事を考えてたのかと言うと
息子の小学校の入学式の校長先生の挨拶の
「たくさん友達作りましょうね」と言う言葉に違和感を感じたからです。

まぁいろんな気づきによって解決出来ました。
友達って言われると違和感あったけど、やっぱり仲間欲しいですもん僕。
いや~
かっこつけずにこうやって自然に言える様になって良かった良かった。
チャンチャン。

ちなみに今回の気づきの直接のきっかけになったのは
シータヒーリングでも占いでもなくて
知り合いの詩人の詩屋万次郎さんというかたの一遍の詩とその方のお父さんの言葉でした。

投稿 by 詩屋 万次郎.

そして、この一連のことを考えている中で
もうひとつ気がついたことがあります。

土地や集団に属していないという地に足がついてないような
そんな感覚で生きてきていた僕ですが、
実は一人じゃなかったんだと。

うちは家族仲が良くて、僕は母親も父親もそして弟もみんな好きです。
彼らがいてくれるから僕には帰る場所があるんだという事に
今更ながら気がつきました。

アムロレイは家庭環境が最悪で回りのヒトにもなじめず
でも、ホワイトベースのクルー達といっしょに戦い成長していくことで
擬似家族としての集団に居場所を見つけます。
映画のラストシーンの名台詞

amuro

howaitobe-su
「僕にはまだ帰る場所があるんだ」

にいつも号泣してしまうのですが、
僕の場合はアムロとは逆で
集団や土地に対する帰属意識がゼロでひとりで生きているような孤独感がありましたが
実は家族の愛情に包まれていたからこそ生きてこれていたんだと言う事です。

人は居場所を求めるものです。

土地にも集団にも居場所のなさを感じていた僕でしたが
家族が居場所だったんだなとわかりました。
そして、今は家族とは離れていますが
自分が家族を持つことで居場所を持つことが出来ています。
嫁さんにも子供たちにもお義父さん、お義母さんにも感謝です。
彼らがいるからこその居場所です。
さらに、ボードゲーム部やマンガ座談会を主宰することで
オタクとしての僕の居場所もあります。
メンバーのみなさんいつもありがとう。
オタクとして生きられる場所を与えてくれてありがとう。

居場所を持つことが出来た僕は幸せですが
本当は(過去の僕と同じように)あなたも気がついていないだけで
実は居場所は既にあるのかもしれません。

なんか、長い上にまとまらない文章ですが
今の段階ではこんな感じでちょっとづつクリアリングして行ってます。

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