愛されることが怖いという気持ちと愛されたい気持ち

こんにちはーパン長です。
神戸三宮で推拿・占い・ヒーリングなどを用いて、あなたの苦しみを取り除くお手伝いをしています。

ちょっと今日は前置きが長いけど聞いて!!

ヘドウィグ アンド アングリーインチって映画をご存知でしょうか?
公開当時に話題になってるなぁと思ってましたが、
つい最近、NHKの対談番組SWITCHで
美内すずえ先生と三上博史さんが出演されてましてね、
そこで話題に上がったのを見て興味がわいたんですよ。

で、見てみました。


もうね、歌がいい!
引き込まれますし、
心臓がわしづかみにされるようで
見ていてとても心が震えました。

2回、いや、3回泣きました。
あと、めっちゃ足ツリました。
チカラ入れて見てたからかな(笑)

男として生まれたんだけど、
いろいろあって性転換したヘドウィグの
半生を描いた作品です。


バンドで歌を歌うヘドウィグは
その、、、見た目が、、、えと、、、
なんていうか、、スゴイんですけどね
でも、
映画を見ていくうちに
なんか、どんどんと可愛く見えてくるのが不思議でした。
ほんとに「か弱い女の子」って感じなんです!


グラムロックだったりパンク的な劇中歌も最高に良いし
歌詞も最高に良いです

ストーリーを追って見ていく映画って言うよりは
各シーンごとのキャラクターの感情の揺れ動きに
見ているこちらが揺さぶられたり
曲ごとのテーマ性に心をわしづかみにされたり
って言う感じでした。

見る前はトランスジェンダー的な事を
テーマの核にしてるのかなと思ってたんですけど
実際に見終わってみると
表面的には確かにそれがテーマっぽいんだけど
もう一段、二段うえの


「愛」についての映画でした。


誰かを好きになるってどういう事なんだろう
男とか女とかってどういう事なんだろう
愛って何なんだろう
神様って何なんだろう

そんなことを考えさせられました。

プラトンさん

あと、ヘドウィグは哲学者プラトンによる「愛の起源」
についての考え方を曲に引用しています。
曲に、っていうか
これはこの映画のテーマそのものなのかもしれませんが。

プラトニック・ラブ(プラトンの言うところの愛)はこういう事です。

球体(完全性)から分離した人間(不完全でいびつな半分だけの存在)は
自分の「カタチ」にピッタリと会う人を探し続けます。
なんどもなんども相手を変えて確かめて自分の片割れを探します。
その沸き起こる衝動をプラトンは愛と呼びました



プラトンを否定するわけではないのですが
この考え方で突き詰めると
自分に完全に一致する相手でなければ
愛が完成しない
という事になるんでしょうけど
本当にそうなのでしょうか?
運命の相手って
はじめから決まっているものなのでしょうか?
一人だけしかいないものなのでしょうか?


そんなときにいつも思い出すのはこの絵本です。

シルヴァスタインの「僕を探しに」です。

パックマンみたいなかたちをした主人公が
自分にピッタリとはまるカケラを探す旅に出る
っていう絵本です。
どんな顛末かはネタバレになるので言いません。

でも、僕はこの絵本のオチのつけ方がとっても好きです。
1000%共感できる!!って感じです。
パートナーシップについてっていう訳ではないんですけど
ちょっと似たことを描いているような気がしています。

話がそれました。
ヘドウィグアンドアングリーインチは
このプラトン的な愛がテーマになっている映画なんですが
きっと受け取り手によってさまざまな見え方をすると思います。
あなた自身が愛についてどのように感じているのかが
もしかしたら見えてくるかもしれませんよ。

何度も見返したい。
何回も見て、何回も聴いて
自分の中にゆっくりと染み込ませたい。
そんな映画です。

はい、というわけで、
前置きが長くなりましたが
今回は「愛」についてお話ししようと思います。




人は誰でも「愛されたい」という気持ちを持っています。
それと同時に
「愛されたくない」っていう気持ちもあったりしますよね。

僕は自分の事を考えてみると
やっぱりどちらの気持ちも同居してると思います。

愛されたい気持ちが強いけど
愛されるのが怖い
愛するのも怖い
っていうニュアンスです。

けっこうこういう方多いと思います。
ご相談を受ける方の中にもたくさんおられます。

一見矛盾する二つの感情
「愛されたい」「愛されたくない」

人は哺乳類ですが
他の哺乳動物に比べて
授乳期間が長いそうです。

生まれてすぐに自分で歩ける動物がたくさんいるのに
ひとは1年くらいかかります。
おっぱいから離れて固形物を食べるのも時間かかるし
自力でご飯を調達して食べるようになるには
かなりの時間が必要ですよね。

僕が思うには
この「護られている期間」っていうのは
「愛について学ぶ時間」として
与えられたものなんじゃないかと思っています。

人間以外の動物や植物は
愛そのものの体現者だと思うんです。
だけど、
なぜかヒトだけはそうじゃないんですよね。。。


動物も植物も「自然」そのものを体現しています。
「自然」な「生き方」をしています。
だけど、ヒトは果たして自然でしょうか?

生まれた時には愛の体現者だとおもいます。
赤ちゃんは自然体ですもんね。
(ややこしくなるので胎児の記憶、バーストラウマについては横に置いててください)

赤ちゃんは、はじめから愛の体現者として
こっち側の世界にやってきてるのかもしれんのですけど
だけど、
いつの間にかその「自然」さを忘れちゃって
大人になっていきます。

七歳まではカミのうち

って言いますよね。
たぶんそれくらいまでは「自然」なんじゃないでしょうか僕らは。
で、
大きくなるにつれて忘れていく。

生まれてすぐに
母親に抱きかかえられ
肌と肌の触れ合いを通して
愛を感じます
愛着をしります

卒乳することで
歩くことで
すこしづつ母から離れる事を学びます

言葉をしゃべることで
不自由さを学び
体が大きくなり性を知ることで
親から離れ
外側に意識が向きつながりを増やします

こうやって成長するにつれて
いろんなことを身に着けて
肉体を通して様々な経験を味わって

頭や言葉っていう
カタチの世界を知ることで
すこしずつ愛を忘れていくから
だから
経験って言うカタチの無い世界を通して
愛について学ぶんだと思うんです。


人は何度も喪失を経験します。

喪失にはかなしいとか寂しいとか
そういう想念が宿ります
人によっては
絶望だったり恐怖だったりします

愛を学ぶ過程で
喪失を知ることで
愛を失う怖さを学んでしまうんですよね

だけど

その怖さって、不安って
本当なの?
愛って無くなったり奪われたりするものなの?
って事だと思うんです。

ここ、大切なポイントなんですけど
愛は奪う事ができません
愛は減ることもありません
愛は持つことができません

あなたが失ったと思っているモノは
愛ではありません

愛のように感じているそれは
愛から生まれ出たものではありますが
愛そのものではありません


愛を感じられる「カタチ」を失ったことが
とってもつらかった
という事なんだと思います。

モノは手元に置いておけます
カタチのあるものは手元に置いておけます
でも
愛は持ち続けることはできません

たとえば
美術館で素晴らしい作品に出会った時
その作品を愛する気持ちから
画集やポストカードを買って持って帰りたい
そんな気持ちになります

画集を買ってもポストカードを買っても
それは単なる「モノ」でしかありませんが

その「モノ」を再び見る事で
あなたは「愛の再体験」をすることができます

美術館でその作品に対峙した時に感じた
あの気持ちを呼び覚ますことができます
あの体験を通して感じた喜びを再び味わうことができます

この感覚は「愛」です。
しかし
持ち帰った画集は「モノ」でしかありません

「モノ」を通して「愛」を感じることはありますし

もっといえば
その「モノ」が手元になくとも
その作品を通して感じた「愛」は
いつだって再体験できます。

愛はなくならない
だけど
モノはいずれなくなります

喪失を通して
ぼくらはその事を学ぼうとしているのかもしれませんね

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