「人はなぜ傷つけあうのか?」について

✤こころ・スピリチュアル
これは同人誌ではなく手塚プロ公認の作家さんつのがい氏の作品です。

こんにちはーパン長です。
神戸三宮で推拿・占い・ヒーリングなどを用いて、あなたの苦しみを取り除くお手伝いをしています。

お客様から頂きました!旨かった♪ありがとうございます♪

ここ数年のスマホ普及のおかげもあって
あらゆる層の方々がネット書き込みできるようになりました。
そう、こうやって
僕もアナタも何の気なしにネット空間上に「ことば」を発することができるわけです。

パソコン通信やインターネット黎明期をご存知の方々にとっては
隔世の感がありますよね。

ネットは心の鏡

「誰でもネット時代」の到来によって
僕らの内なる領域が可視化されてしまう状況がやってきました。
つい先日も人気ユーチューバーのちょっとしたおふざけ動画が「目に余る!」と
関係者やネットユーザーからのバッシングを受けた出来事(炎上)がありましたよね。
そこで収まればいいのに
そのユーチューバーのコアなファン層(熱狂的信者)が報復爆撃をして
さらに炎上していきました。

まぁ、ネットではこういう出来事が日常的に起こっています。
このユーチューバー氏に限らずいろんな「普通の人」が
自分の意見を発信することが出来てしまう時代です。
下手すりゃ6歳児と60歳のオッサンがリプしてるかもしれないわけですよ。
なので、意図せず誰かを傷つけてしまう事が起こり得ます。

なぜ、こうやって人は傷つけあってしまうのでしょうか?

わざとじゃないのに傷つけてしまう場合は仕方ないと思うんですよ。
誰にでもありうることですし。
でも、
あきらかに悪意を持った応酬が散見されると悲しくなっちゃいますよね。
その人たち一人一人の行動にはそれぞれの正義があるのでしょうが
結果として、それは戦争と同義なんだと気が付いている人はどれだけいるのでしょうか。

文句を言いだすのって「〇〇殺し」と似ている

https://www.pinterest.jp/pin/96968198207164639/ より

(これは公式公認のつのがい氏の作品です)

例えば、同人誌ってあるじゃないですか。
そのなかでも
人気漫画の設定とキャラクターなどを使って
オリジナルのストーリーを作品化するという
「二次創作」というジャンルがあります。

よく見かけるのが、

とあるキャラを好きなコア信者が二次創作作品に激怒して作者を攻撃する光景です。

「わたしのベジータはこんなセリフを言わない!」
「わたしのカラ松を汚さないで」

などなど。

ファンならわかる心理です。
「私の神様を侮辱しないで」という気持ちですよね。
わかりますわかります。

でも、だからと言って
二次創作した同人作家さんを攻撃してしまうのって
論理的におかしい、筋が通らないと思いませんか?
そもそも「わたしのベジータ」じゃないですし。

同人作家さんやクリエーターさんを攻撃することって
自分で何かを生み出したことがある人なら絶対にしない行為だと思うんですよ。

攻撃って
いつも「生み出せない人」からやってくるんだと思うんです。
つまり「神様になれない人」からの攻撃です。
自分が神だと思えない人、思いたくない人から
いつも攻撃されてしまうんです。

二次創作でも何でもいいから
一回「きちんと」漫画を仕上げて公開してみればいいんです。
1曲ちゃんと作り上げて披露してみればいいし
毎日トレーニングして試合に出てみればいいんです。

クリエイターに対して文句を言うのは常にユーザーなんじゃないでしょうか。
生みの苦しみを知っている人は
不満を感じてもそれをネタに攻撃したりしないはずです。

殺されるフンババ

クリエイターとユーザーという構図は
アスリートと観客でもいいし
職人と顧客でもいい。
オタクとヤンキーみたいな、そういう関係性ですね。
生み出す人と利用する人。

(ヤンキーやギャルが想定外の使用法で新たな文化を築いていくという話をしだすとややこしいので割愛)

ここでいうクリエイターというのは
クリエイティブ思考の持ち主という意味であります。
ユーザーというのは消費者的思考の持ち主という事でありますから
ということは、ユーザーっていうのは「所有」という概念のもとに生まれた
資本主義の悲しき弊害なのかもしれません。

では、なぜ神殺しをしてしまうのか?
なぜ、自分と意見が違うだけで
過剰反応を起こして
悪意を持って攻撃してしまうのか。

お金さえ払えばユーザーでいられます。
ユーザーでいるという事は
市場では立場が上だと認識できますよね。
「お金を払ってるんだからお前らちゃんと仕事しろよ」
そういう立場で居られるわけです。

つまり、

ユーザーでいさえすれば
全能感を持つことができる。

このような心理的な状態が隠れているだろうと思います。

そして、
その全能感を持っていたい理由は

「何者でもない自分」への劣等感があるからです。

自分を自分で認められないから
自己受容ができていないから
そのフラストレーションが攻撃性として発揮されてしまっているのではないでしょうか。

https://gigazine.net/news/20110406_penguindrum/ より

文句を言ったり考えたりする暇があれば
自分を磨く努力をすればいいし、
それでも成長できない、達成できないことは人生にたくさんあるわけだから
その時は諦めるしかないですよね。
自分の能力の低さを自分で認めるしかないんです。

http://www.borderline-records.net/?pid=91786328 より

僕はハービーハンコックみたいな鍵盤が弾ければ素敵だなと思いますが
僕にそこまでのスキルや才能が無いことは知っています。
でも、
演奏するのは楽しいから音楽をやめようとは思わないし
ハービーより下手でも構わない。

そして、
ちょっとでも楽しく演奏したいから練習もする。
自分が少しでも成長できるために練習をしていく。
たとえハービーハンコックになれなかったとしても
自分が出来ることが増えた時とっても嬉しいから練習するわけです。

扁鵲老師のドヤ顔

扁鵲(へんじゃく)老師のようにスーパーミラクルに奇跡を起こして
たくさんの患者さんを救っている姿に憧れます。
でも、僕にはそのスキルも才能もないことを知っています。

僕は扁鵲にはなれない。

だけど、中医学を学ぶことは楽しいし
知識と技術を伸ばすことで自分がアップデートされていくのが嬉しい。
自分の施術が小さなことだとしても
そのことで幸せになってくれる人が毎日来てくれているだけで僕は嬉しい。

そして、
その幸せを感じ続けるために
自分は技術を伸ばしたいし
扁鵲になれなかったとしても
推拿をしていることが楽しいからそれだけで満足でもある。

つまりは、こういうことなんですよね。
幸せを見つける事さえできれば
足りていない事なんて些細なものに変わります。

だからがんばりましょうよ。

もう一つ見落としている事

傷つけてしまう理由(のひとつ)は
自分自身の劣等感からだ、という事がお分かりいただけたかと思います。

傷つけたいという方向にエネルギーを向けるくらいなら
自分を成長させるために向ければいいんじゃないの?
という事を書いたわけですが、
もうひとつ、
傷つけあう事を避ける方法があります。

それは

「お笑い」です。

笑いにもいろいろと種類がありますが
ぼやき漫才ってジャンルがありますよね。
あれってブルースみたいやなぁと思うんです。

日頃の憂さをギターにのせて
自分自身を慰めるかのように歌う。
これがブルースだとしたら
お笑いってそういう側面があると思うんですよ。

悲しみのギャグ化っていうか。
新喜劇とかをまじめに真剣な目線でみると辛くて悲しい出来事がちりばめられています。
それをギャグとして昇華することによってカタルシスが生まれているわけですよね。

吉本新喜劇(C)MBS

まじめすぎると
どんどんと了見が狭くなり
いろんなことを厳格にジャッジしてしまいます。

そして
ルールから外れたことを許せなくなってしまう。
(しかもそのルールは往々にして自分内ルールだったりします)

ジャッジってしんどいですよね。
自分も相手も。
もっと許してあげようと思います。

「自分が被害者だ」と感じるなら
すこし高いところに目線をもっていって
外から客観的に自分自身を眺めてみるといいと思います。
そして、
他人に文句を言うくらい暇な時間があるなら
そのエネルギーを「人生を楽しくする」方向に向けた方が楽だし
どーしようもない自分を認めて
どーしようもない自分なりに人生を楽しくする方法を試していけばいいし
常に行動することで自分をアップデートしていけばいい。

そうすれば時間が無くなりますから(笑)
自分を楽しませるためだけに人生を使いたいわけですよね。
だったらもう
他人を妬んだり羨んだりする時間がもったいなくなりますよ。
「そんなことしてる暇があったら自分自身のために使うわ」って
そんな風に変わります。

そして、

悪意を持って他人を傷つけることが無くなります。

もちろん、気が付かないうちに傷つけている事はあるかもしれません。
それは誰にでもあることです。
もし、本当に自分に非があると思えば誤ればいいし
そうでないなら
被害者意識が強い人から過剰反応されただけですから
スルーすればいいんじゃないでしょうか。

無駄な人にかかわってエネルギーを消耗するくらいなら
自分の目線を変えて
自分の行動を変えて
自分の在り方を変えて
そして、自分の幸せのために
全エネルギーを使っていきたい。

僕はそう考えています。
昔はコンプレックスと被害者意識の塊だった僕ですが
だからこそ
ホントにエネルギーと時間は有効に使いたいと思えるようになりました。
身の回りにこんなに幸せなことが転がっているのに
それに目を向けずに、自分で自分を苦しめていたわけです。

だから、僕は自分の幸せのためだけに全リソースを使いたいと思う訳です。
だって僕の人生、残りあと半分だもの(オッサン宣言)

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◎パンダ整体院の理念◎

パンダ整体院は中国伝統医学の推拿(すいな)や
シータヒーリング、占いなどのメンタルケアを中心とした施術を通じて
整体師とお客様が信頼関係を築き
定期健診のように来院できる整体院を目指します。

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