こんにちはー
パン長です。
昨日はたくさんの子供たちと触れ合ったわけですが
いろいろと感じた事があったのでアウトプットしてみます♪
「無邪気」ってなんなのさ??
子供にはほんとうに邪気がないんだなぁといつも感じます。
できるなら僕も無邪気なままのヒトでありたいものです。
ここでいう邪気っていうのは「澱みや濁り」というニュアンスじゃないですよ。
人間ですもの。濁りも澱みもあって当然。自然。
それをなくそうとするのは人間の傲慢さであって
自然のなかではヒトも動物も植物もおなじです。
よどみを無くしたいという気持ちこそが邪気ではないかと思います。
自意識というものを持った瞬間に他との比較が始まります。
比較は差に意味を与えてしまい
意味は優越感や劣等感を生み出します。
そこで感じた感情を満たすために行動はどんどん「不自然」なものへと変るでしょう。
所有、支配、服従、無関心
自意識はしかし人間が人間であるための大切なしくみでもあります。
自意識を「悪」と思うことも自意識が生んだ意味ですよね。
良いも悪いもなくてただ自意識を持っているだけなんだとおもいます。
肌という膜をもって僕らは世界と接しています。
このうすい皮膜を通してしか世界を知ることが出来ません。
ほんとうはすべては交じり合っているのに
そのことを肌の感覚で知られない
だからぼくらはいろんな物事を
「視て」「聴いて」「嗅いで」「味わって」「触れて」確かめます。
このときに感じた「からだの感覚」に素直に生きる事が「無邪気」という状態なんじゃないでしょうか。
僕らは自意識を肥大化させすぎてしまったのか
「感覚」よりも「意味」の世界に生きているような気がします。
感覚を取り戻すために
僕は
音楽をやったり
物を作ったり
料理したり
食べたり
絵を描いたり
しているのかもしれません。
そんなことを感じましたよというお話です。
オチ無しかよ(笑)