【スピ雑記】「利他」は「自己犠牲」を通って○○に変りやすいと思います。

こんにちはー
パン長です。

うちのホビット庄(花壇)で枸杞の実が生ってます。
クコ
自然の恵みは人にも動物にも分け隔てなくただ与えてくれます。
「植物だ」「動物だ」と分けて考えるのは僕たちが人間だからそう思っているだけなのかもしれませんね。

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子供たちは自然の中で走っているだけでしあわせそうです。

アケビ
近所の秘密のスポットでアケビの蔓をいただいてきました。
これでかごでも編んでみようかしらとたくらんでいるのであります。

しらないうちに混同してませんか?

さて

今日は「利他的」という事について書いてみようと思います。

利他的ってどういうことよ?という方もおられるかもしれません。
自己の損失を顧みずに他者の利益を図るような行動のこと(ウィキペディアより)
ということだそうです。

自分は損をしてもいいから誰かのためになればいい。

こういう行動を利他というそうです。

「誰かの幸せのために自分は我慢してもかまわない」

という気持ちと考えてもいいかもしれません。

確かに人間として美しい行動のように思います。
でも、ぼくはちょっと違和感も覚えるんですよね。

「誰かのために」

という気持ちは
カンタンに

「恨み」に変るんじゃないかと思うんです。

「利他」というのは見返りを求めないというのが前提でしょう。
でも
「自己犠牲」感が強くなってくると

「なんでこんなにしてあげているのにあの人は喜ばないの?」

と恨み節が生まれやすいんじゃないでしょうか。

本来は自分の利益はどうだって良かったはずですよね。
相手の喜びのために自分が行動を起こす事を自分の喜びとする。

こういう立ち位置だったはずです。

相手が喜ぶ事が自分自身の喜びになる。
それはそれで素敵な気持ちだと思うんです。

でも、「結果」が相手に見えない場合は

「これだけしてやってるのに」
「自分ばっかりが損をしている」
「あの人はわたしの気持ちなんかわからない」
「思うようにあの人が喜んでくれない」

などなど
あんまり気持ちよくない感情が生まれてきそうですね。。。

「誰かのために」ではなくて「自分がどうしたいのか」

に焦点をあてたほうがいいと思うんですよね。

「私はただあの人に●●をしてあげたい」

こういう気持ちを純粋に持っているのならしてあげればいいと思います。

でもね

「期待」をこめて何かをしてあげるのなら
いっそ何にもしないほうがいいと思うんですよね。

「自分の望む方向に他人を持っていくこと」がその「期待」の中に含まれています。
これって人をコントロールして、その結果で自分自身を満足させたいだけなんじゃないかと思うんです。

きつい言葉だったらごめんなさい。
責めようと思って書いているわけじゃないですので「え?私のこと?」と思っても軽くスルーしてください(笑)

さて、この記事を書くにあたって考えを脳内でまとめていたのですが
ふとカードでも引いてみようと思いましてバガヴァッドギーターをひいてみました。
テーマは「利他と自己犠牲について」

出たのはこのカードです。

「直接の知識:ヴィッニャーナ」
世界の本質・普遍なる真実
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ヴィッニヤーナとは
本当の自分について人間が知るべき真実
という意味だそうです。

ここでいう人間とは個人という意味ではありません。
普遍的存在としての「わたし」でありそれは「あなた」でもあるでしょう。

だれかを喜ばせたいのであれば
わたしが喜びを感じましょう
だれかが幸せであってほしいと願うのなら
わたしがまず幸せに気づきましょう

そうすると本当は
幸せも不幸せもないのだ
と感じる事ができるでしょう


「誰かのために」という言葉は「わたしのために」でもあります。
「わたしのために」は「あなたのために」にも繋がるという事です

これってワガママになれということではありませんよね

わたしという真実にたどり着くためには
あなたという鏡が必要です
あなたを通して
わたしを観ることが出来ています

このようなことをこのカードは伝えようとしているのかもしれません。

誰かをみてイライラしてしまうのは
わたしを観てイライラしているのだと思うと
なんだかイライラするのがあほらしくなってきますね(笑)

ほら、小さな子供たちをごらんなさい。
何も考えてないでしょ(笑)

それが悟りですよ、たぶん。

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