【スピ雑記】個性があるとか無いとか

こんにちはー
パン長です。


アゲハチョウの家紋ってかっこいいよね~

自意識と個性についてのおはなし。

人って服を着てますよね。
なんで人だけ着るんやと思います?
動物は自発的に服を着ることはないですよね。

キルラキル

先日、シータヒーリングのセッション中に
何者でもない自分というテーマが出てきまして
それについてフォーカスしていくとですね

流れや濁流(昨日書いた愛というエネルギーのらせん状の循環のこと)に
足を踏み入れることができないのはなぜか?

エネルギーの変化は流れの必然です
その中に自分が入り、そして、自分がエネルギーの流れそのものになるということは
自分が変化し続けるということになります。

それは

「もしかしたら、今の自分ではいられなくなるのかもしれない」

という不安が生まれることかもしれません。

自分が大切だと思っている信念や信条
これが自分だ!という生き方、ポリシー、こだわり
そういったものを一切手放して

「今ではない自分」に変り続けなければいけないんじゃないか?

という不安です。

そういった自意識の比喩的表現(メタファー)が服なのかもしれません。

何者でもない自分という塊の表面を纏う布。
これが自意識だということです。

この自意識を手放して
今の自分ではない、こだわりや思い入れや
そういった
自分の一番大切なものを脱ぎ捨てた「素の自分」

素の自分(裸の自分)さらけ出さなければいけない
という思い込みが
あなたを(僕を)
愛の渦(エネルギーの循環・サークル オブ ライフ)へと
近づくのを踏みとどませる原因となっています

で、
シータでセッションしててですね
またまたビジョンが見えたんですけども

服(自意識)を脱いだ自分は皮膚みたいな膜一枚。
(なんか単細胞生物みたいなイメージなんですが)
その膜に包まれただけの存在が自分です。

自意識が無くても「自分足らしめる」モノはあるんだ、という気づきです。

そして、この渦の中、エネルギーの循環の中では
膜を越えて(漏れ出して)中身が交じり合ったりしてるんです。

浸透膜みたいなイメージですかね。

この膜って服に縛られていないからか
どんな形にでもなれるし
どんな隙間でも入れちゃうんですよね。

でも、時折パツンパツンになるみたいです。
この場合、一回膜を破ってまわりと溶け合うことができます。
そうすることで(よどみも含む)自分と周りとが交じり合い
いちど混沌へと融合したうえで
ふたたび同じ質のものだけが集まって
しぜんと膜が再生します。

自意識と個性は別物で
この膜の中身こそが個性であって
自意識という階層のものは個性の上に被っているだけなんですね。

だからどんな服も着替えることができるように
自意識も着替えることは可能です

膜の中はあなたという個性の「色」がついています。
ピンク色だったり黄色だったり人それぞれでしょうが
膜がはじけてもその色は周りの色とは違います。

一度溶け合っても
また、その色が集まって膜を作ることができるんです。

だから、自意識というものにしがみつかなくても
あたまで「個性」というものに固執しなくても
何もしない
「何者でもないあなた」がすでに個性なんだよ。

という、そういうビジョンを見させていただきました。

*

シータヒーリングって
宇宙の根源的な創造のエネルギーにつながって行うヒーリングなんですが
こういうビジョンとかが見えることが多々あります。

なんか、素敵なドキュメント番組を見させてもらってるみたいな感じがあって
いつも役得やなぁと思ってセッションしてます♪

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